中途半端なこだわりは、中途半端な結果に終わってしまう

この記事に書いてあること

●中途半端なこだわりは、すぐに飽きられてしまうし、見透かされてしまう

●「こだわり」は、自分の超個人的な価値観に結び付けないと成り立たない

●「感動」は最上級のクオリティー。そのためにはただ純粋にこだわる以外ない

 

中途半端が1番苦しい状況を作ってしまう

山倉陽平山倉:前にも少し書いたけど、実家は新潟で小さなカフェ&自家焙煎コーヒーの販売をしています。競争の厳しい飲食業界だし、特にカフェは街のいたるところにあって、どれもおしゃれで美味しいものを提供してる。

さらにここ数年コーヒーブームで、コンビニでも美味しいコーヒーが買えるし、さらにクオリティーの高い「スペシャルティコーヒー」を出している店も、東京じゃいっぱいある。通販でも美味しいコーヒーは手軽に買える。

そんな中で、お客さんに選ばれるために「ホームページ」「インスタ」「フェイスブック」「メルマガ」「ツイッター」「Youtube」と色んなメディアを使って情報発信をしています。情報発信を続けていたら、雑誌やテレビの取材が来てくれて、一時的にすごくお客さんが来てくれることもある。

それはとてもありがたくて、嬉しいし、情報発信のやりがいを感じる時でもあったりするわけです。でも、、、そんなブームも近くに良いお店ができたら、すぐに過ぎてしまう。色んなお店が新しいメニューを出して、どんどん話題は変わっていってしまいます。

そんなことを感じていたある時に「中途半端なこだわりでは、中途半端な結果しか出ないな」と強く思いました。

もちろんそれまでも「自家焙煎した新鮮なコーヒーを販売する」「スペシャルティコーヒーだけを扱う」「見た目も味も美味しい自家製スイーツを提供する」「席は広々として、いつまでも過ごせる居心地の良いカフェにする」など、こだわりはあったのですが、今考えてみたら、全て中途半端。。。

「誰でも、簡単に」とまではいかないけど、少し工夫すれば真似できてしまうようなものばかり。それでは圧倒的に、お客さんにとって魅力的なものを、提供するまでには行き着かないなっと感じました。

 

他ではできない「こだわり」とは何なのか?

山倉陽平山倉:「こだわりが大事」「独自性」「差別化」って言われるけど、それって何なんだろう。どうしたら他のコーヒーショップやカフェとの違いが出せるんだろう。

そんなことを家族と話しながら、日々お店を改善している毎日です。まだ「100%これで完成だ!」と呼べるものではないけど、少しずつ他にはない「こだわり」を取り入れていっています。

その1つは「コーヒー豆の現地買い付け」。(通常は日本のコーヒー生豆卸業者から買います。)これまでインドネシアと台湾に行って、コーヒー農園から直接、コーヒー豆を買い付けて輸入・販売しています。実際にコーヒーを育てている人に会って、生産している現場を見る。直接話を聞いて、その農園のこだわりや取り組みを聞く。そして価格も交渉して、日本で売ってもキチンと収益が出るものを選ぶ。

その過程が、販売するときの説得力や信頼に繋がったり、「日本で買えるのはウチの店だけです」ということでコーヒーマニアの方に興味を持ってもらえたり。実際に台湾で買って来た豆は100g 3,800円で販売していて、スーパーなどで売っているコーヒー豆の10倍くらいの値段がします。でもお店に来て買ってもらえたり、わざわざ電話で注文してくれたりするお客さんもいる。

そして実際に買い付けに行くのは、いくつかのハードルがある。行き先を決めて、農園を知っているコーディネーターさんを探して、ガイド料と旅程を交渉して、航空券をとって、農園に行って、価格交渉して、輸入の手続きをして……など。

でもウチの場合は、それが全く苦にならない。というのも「コーヒー豆買い付けのために旅に行くのが、めちゃくちゃ楽しみだ!」という、とても個人的な価値観がそれを支えているから。旅が好きだし、全然知らない環境に行くことが、とても面白い。だからいつだって、時間とお金に余裕ができたら、買い付けに行く準備ができている!

この「個人的な価値観に支えられているために、他の人には大変だと感じることに、無理なくこだわることができる」ということが重要だ。

普通なら、お金も時間もかなりの労力も使って、現地買い付けをすることは面倒なのかもしれない。たくさんの工程や苦労を経て、ようやく販売できるようになる。その工程の多さや、金額的・精神的労力が、ハードルとなって、他のお店との違いが出せるのではないだろうか。

 

そのこだわりや純粋さが「感動」を生む

山倉陽平山倉:いろんな本に書いてあるけど、商売に限らず、人を魅了する最高の状態は「感動するものを提供すること」だ。食べ物でも、エンターテイメントでも、サービスでも、究極に良いものは感動を与えることだと感じています。

それは学生時代のバスケをしていた時に学んだこと。とにかく「自分の全身全霊で目の前のことに、純粋に取り組んでいる」状態は人を魅了します。その時の試合には負けてしまったけど、応援してくれていた人達は、声を枯らして声援を送ってくれて、中には涙してくれている人も居たりして。

そんな状況になったのは、「自分がこうでありたい」「こんな選手になりたい」「勝ちたい」とかの純粋な思いが、プレーになって現れた結果。つまり「純粋なこだわり」を精一杯、アウトプットしたことで、感動に繋がったのだと感じています。

誤解を恐れず言えば、打算や計算だけでは感動は生まれない。そこには取り組んでいる人の感情があったり、すごく個人的なストーリーがないといけない。そういった意味でもこだわりが必要で、それは中途半端じゃないほうがいい。

中途半端に取り組んでいると、中途半端な結果しか出なくて、逆に自分を苦しめてしまう。やるなら精一杯飛び込んでみたほうが良い結果が生まれるし、「全力でやった」という心地よさで夜もぐっすり眠れる!

 

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